漂える黄色いバルーン  裏庭でバスケットボールをしている人や、野原で遊んでいる子供たちが手を振って声を掛けてくる。Fay選手が返答する。会話が可能な距離であり静けさでもある。

「ゴォー」と、バーナーが唸ると、再び高度を上げる。再び、見渡す限り、牧場とトウモロコシ畑が続く長閑なウィスコンシンの田園風景が眼下に広がる。

 時折風が優しく頬を撫ぜる。

 氷が張り詰めたような緊張感のある静寂さではなく、地上の騒音、風でバタつくバルーンの球皮の音、バスケットを編んだ籐が軋む音など、程よく耳をくすぐる温かい雰囲気があった。

 バルーンは、徐々に高度を下げ、道路近くで適度な広さのある空き地を目指す。他のバルーンもあちらこちらの空き地を見つけては降りてゆく。

 地表が近づくにつれ、意外と風が強いのがわかる。Fay選手はバーナーとヴェントを忙しく操作しながら、ゆっくりと降下する。地表でも風は強く、結構なスピードで、滑るように地表に降りる。身構えてバスケットの奥にしゃがみ、Fay選手の動きの邪魔にならないようにする。バスケットは横に倒れ、ガサガサッ、ガサガサッと音を立てながら数メートル引きずられた。
「大丈夫か、出て来てもいいぞ。」
僕は、バスケットから這いずり出た。刈り取られた草の上を、結構な風が吹いていた。

バルーンから手早く空気を抜くと、クルーたちが来るまで、Fay選手は地主の家を探し、バルーン撤収の許可をもらいに行く。
緑の草原の中、萎んだバルーンが、緑の草原に横たわる。

 僕の初めてのバルーン飛行は終わった。
飛び上がってヤッホーと騒ぐような感情ではなく、「バルーンって良いなぁー」と、心にジーンと染みてくるような感慨がじわじわと湧き上がってきた。

 西に傾きだした夕日を見ながら、Fayさんとクルーたちとバルーンを片付ける。
その横で、Fayさんの子供たちが、マーカーを上手に投げて遊んでいた。

 明くる日、前日高得点をマークしたホンダのバルーンを駆る水上選手が、絶妙なコースを選びながら、僅かなことで、高得点を逃してしまった。
水上選手は、目標地点を過ぎても、そんなに高くない高度を維持しながら、いつまでも西日に向かって飛んでいた。

 美しく優雅に見えるバルーン競技にも、わずか数センチの差を争う厳しさがある。
当然、勝者も敗者も存在する。

 夕月を背に、遥かな夕陽を見つめながら、ゆっくりと西に向かって飛ぶ水上選手に、男の哀愁を感じずにはいられなかった。
=第1回=      [ 写真を見る (※別窓で開きます) ]

牧場とトウモロコシ畑、そして低い木々に覆われた、なだらかで広大な地形。
ゆっくりと69号線を南下していると、不意にイリノイ26の標識が現れた。
いよいよウィスコンシンともお別れだ。
この1週間、僕は今までに体験したことの無い、
不思議で心地良い時間を過ごす事が出来た。

T.T.

熱気球と過ごしたウィスコンシンの初夏


 「坪さん、熱気球競技を一度見に来ませんか?」
 この一言で、この旅は始まったのだが、実現するのには、丸1年以上も掛かってしまった。
熱気球そのもの、熱気球から見た景色、熱気球を愛する人たち(ファミリー)、そしてバルーン競技、そのすべてが、僕が抱いていた想像をはるかに超えた素晴らしいものだった。
それは、熱病のように僕を襲ってきた訳ではなく、ゆっくりとジンワリ温かく僕の心を包んでいった。静かに、静かに、とても静かに、しかし確実に僕を虜にしていった。

 熱気球は、基本的に液体プロパンガスを燃料に、バーナーに点火して熱い空気を袋の中に吹き込めば上昇し、ヴェントを開いて袋から空気を抜けば降下する。残念ながら、映画(80日間世界一周)で見たようなゴンドラの脇に吊るした砂袋(砂袋自体付いていない)から砂を捨てて上昇することは無かったが、ほぼ想像していた通りの単純な仕組みで動いていた。

 この単純な仕組みだけで、競技中のパイロットは数キロ離れた目標地点に、神業のように正確にマーカーを投下するのだ。勿論パイロット一人でそれが出来る訳ではない。チェーサーと呼ばれるサポーター達が、気球の先回りをして色々な場所で、地表から上空までの風の流れをゴム風船(一年経過すると自然に風化するように出来ている)を使って計測し、その情報を正確にパイロットに伝え、パイロットは自らの判断で高度を微妙に変えて、目標地点に向かう風を探す。

 風を味方につけなければ何も始まらない。風だけが頼りなのは解っていたことだったが、緩やかな高低差しかない地形のモンローでさえ、高度によってこんなに風が向きを変えていたとは、想像出来なかった。

 Fay選手の気球に乗せてもらった。もちろん初めての経験である。 競技中の気球に他の人を同乗させるのは稀であるが、人の良いFay選手は、初めて気球に乗るという僕にほんの少し戸惑った様子を見せたが、快く引き受けてくれた。しかし、そのときの風の状況は決して良くなかった。日本の大会では競技が中止になる程の状況だった。
 あまり風が強かったら乗せられないかもしれない、と済まなそうに言いながらクルーと風船を飛ばしたり、すでに飛び立った他の選手の行方を見たりしながら離陸地を計算する。だが、風の向きが定まらず、あっちの空き地、こっちの空き地と場所を選び、車を移動させ、その度に地主さんに土地の使用許可をもらう。

 そうこうしている内に時間もだんだん少なくなり、Fay選手は大きな賭けに出た。結果的に、参加選手中、最も西の離陸地点を選んだのだ。

 離陸の準備のためクルーが一丸となって作業を始めた。言われるまま手伝うが、風は結構強く、状況はますます厳しくなっていった。僕は内心、今回は無理だな、と感じていた。バルーンが立ち上がって離陸寸前になった時、Fay選手が僕に声を掛けた。
「今だ、乗れ。」
大人二人がかろうじて乗れる程の大きさ(狭さ)の籐で編んだバスケットに滑り込む。ゴォーとバーナーの火が一際高く唸るや気球は上昇を開始した。風の強さに流され、なだらかな地面に軽く接触する。Fay選手は冷静にバランスを保ち、そのまま風に流されるように離陸する。今飛び立ったばかりの空き地が徐々に遠くなってゆく。

 もうここは別世界、さっきまで感じていた風は感じない。風と馴染んで空気と一体になる。

 落ち着いて周りを見回すと、他の気球はすべて東側にいた。思ったほど西風は期待できず、強い北風が吹くばかりだった。バーナーを点火したり、ヴェントを開けたり、いろいろと高度を変えてみても風向きは変わらない。

 「ほら、水上選手のホンダのバルーンがフェアー・グラウンドの真上にいるぞ。きっと高得点さ。」

Fey選手が、もう向かうことの出来なくなった、遥か東の方に見える目標地点のフェアー・グラウンドを指差した。

 期待した風は吹かなかった。大きく目標を外したFay選手は、何も言わなくなった。悔しさを抑えて、優しく振舞い、僕の為に飛んでいる様だった。
たった今別れたばかりなのに、
そんな男たちと、そのファミリーたちの愛する世界で、
再び心地よい時間を過ごせる日が、待ち遠しい。
=第1回・完=
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